PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

廣榮堂の調布

a-010 P1460878

この会社は岡山県岡山市にあるんですよ。
創業は安政3年(1856年)です。
歴史がある会社だったんですね。
岡山と言えば....
そう、あれでしょう。
あれって分かりますか?
そう、きびだんごですよね。

きびだんごの誕生についてはHPに詳しく書いていましたよ。
廣榮堂は、もとは廣瀬屋という7代ほど続いた瀬戸物屋の後を継ぎ、安政3年(1856)にお菓子屋に商売替えしたのが、廣榮堂の始まりです。
 当時の「きびだんご」は、黍の採れるところなら、どこにでもあった日常の食べ物で、黍の粉を蒸して作られ、あんをつけたり、汁をかけて食べ、かき餅のように四角く日持ちが悪いものでした。
明治の風俗史研究家の紅迺屋お色という人が「きびだんご考」というものに、安政の初め、武田半蔵(廣瀬屋の隠居)、笹野一方(通称髯長)という狂歌師、信楽屋(伊吹山のモグサ屋)の隠居の3人で鳩首工夫の上、遂に案出して茶の席に用い、好評を得たのが濫觴(起源)なりと記しています。
「きびだんご」をお茶菓子として、また旅の友にもなるように、日持ちを良くするためにさらに工夫。
黍の変わりにもち米を用い、当時は貴重品だった上白糖と水飴を混ぜて柔らかい求肥にし、風味づけに黍粉を加えることで、現在の「きびだんご」とほぼ同じ製法が完成しました。
「廣瀬屋」はお菓子屋へと商売替えし、「広くこれを伝え、味の良さを知らせることで、自然といいものは売れて繁盛する」という信念から屋号も「廣榮堂」に改めました。
さらに当時の池田藩筆頭家老で武家三茶人のひとり、伊木忠澄(三猿斎)に指導を賜りながら「きびだんご」を茶席向きに改良を重ねます。
これを池田藩に献上したところ、藩主から備前の国印である釘抜き紋の使用の印許を頂きました。
「きびだんご」が岡山を代表する銘菓として、藩主に認められたのです。
 明治19年(1886)に明治天皇が岡山に行幸された際、初代・浅次郎は自らつくった「きびだんご」を献上。
「日の本にふたつとあらぬ吉備団子むへ味はひに名を得しや是」と御製を賜りました。
天皇から「日本一のきびだんご」とおっしゃっていただいたのです。

なるほどそうだったんだ。



a-030 P1460880
でも、今回はちがうんですよね。
買ったのは調布です。
古代、租税として朝廷に納められた手織の巻布「調布」に似ているところから命名されたお菓子です。



a-040 P1460882
ふんわりとしたやわらかい求肥に、香ばしいカステラ生地の薄皮が程良く調和した、上品でやさしい味わいお菓子です。
このお菓子は、知る人知る岡山の伝統的な銘菓なんですよ。
きびだんごも良いけど調布も良いですよ。
中々美味しかったです。



         人気ブログランキングへ    にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 全国地域情報へ   

| 岡山 | 04:16 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。